HALL OF FAME

ベン・スターク

Ben Stark

選出 2013年
出身 アメリカ合衆国、フロリダ州タマラック
プロツアー・デビュー プロツアー・ロンドン1999
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 322点

プロツアー・パリ2011での優勝を筆頭に、プロツアー・トップ8入賞4回。グランプリでは優勝1回とトップ8入賞12回を誇る。ドラフトのエキスパートとしてスーパーチーム「ChannelFireball」に所属。キャリア途中に長い休止期間を挟んだのちに、再びプロツアー予選やグランプリからプロツアーの舞台へ戻った。両親に支えられながら熱心に取り組んだマジック:ザ・ギャザリングは、彼の人生に最も大きな影響を与えたという。

PROFILE

アメリカのベン・スタークは、人生の大半でマジックをプレイして過ごしてきた。これまでの活躍だけでも殿堂入りにふさわしいと投票者の多くが考えていたところへ、しかし彼はプロツアー『ギルド門侵犯』でさらにプロツアー・トップ8入賞を重ねてみせた。4度目のプロツアー・トップ8入賞をその経歴に加えた彼は殿堂入りへの手応えを感じていたものの、実際にその知らせを受けると喜びが溢れたという。

「やり遂げたと知ったときは最高の気分になりました」とスタークは喜びを語る。「プロツアー『ギルド門侵犯』でトップ4に入ると、多くの人が私に投票するつもりだと伝えてくれました。記事やツイートでも私に投票すると表明する人が多くいて、殿堂入りの可能性をひしひしと感じていました」

 スタークは長い道のりを経てここにたどり着いた。マジックとの出会いは1994年、彼がミドル・スクールで数学の特進クラスに入った年だった。小学校のときは周りにこのゲームで遊ぶ子供がいなかったが、新しいクラスでは3人に1人はマジックを楽しんでおり、それはその後20年にわたりスタークの人生の大部分を占めるものになった。

「試しに遊んでみたらハマりました」と、スタークは当時を思い出す。そして4年後にはプロツアー予選(PTQ)に出場し始め、何度目かの挑戦で初のプロツアー参加権利を獲得した。

「車で3時間はかかるタンパで行われたシールドのPTQへ父が連れて行ってくれて、そこで優勝できました。たしか4回目くらいのPTQ挑戦で、初めてのトップ8入賞からの優勝だったと思います」

 当時スタークは15歳の少年であり、プロツアー初挑戦は16歳で迎えた。自信はなく、自分の実力を測るすべもなかった。それから数年の時間をかけて2002年ごろには軌道に乗り、毎シーズン複数のプロツアーに出場するようになった。そしていまだ10代のスタークに、プロツアー・ヒューストン2002で大きな転機が訪れた。

「一番思い出深いプロツアーは、たぶんプロツアー・ヒューストン2002です」と、スタークは開催直前のラストチャンスで参加権利を獲得した大会を挙げた。「お気に入りの《再誕のパターン》を用いたデッキを使って、大会前夜のラストチャンス予選で優勝できました。すごく嬉しくて、本戦も楽しんだのを覚えています。結果も33位と初めて良い成績を収めることができ、初めてのフィーチャーマッチも体験しました」

 そして続く2シーズンで、スタークは2度のプロツアー・トップ8入賞を達成した。プロツアー・神戸2004とプロツアー・サンディエゴ2004での活躍で「最高の若手プレイヤー」と評されるようになった彼だが、ちょうどそのころ仕事を始めて競技の舞台からは離れることになった。彼自身も以前のようにプロツアーの練習に時間を割けないことは理解しており、自分で納得できないまま大会に出て苦しむのを懸念したそうだ。それでも、Magic Onlineで日常的にドラフトをプレイするなど、マジック自体からは離れなかった。そして競技を求める想いは、彼をプロ・シーンに引き戻した。数年前に復帰するやPTQとグランプリでプロツアーの参加権利を獲得し、やがてリミテッドのエキスパートとしてチーム「ChannelFireball」に所属するに至るのだった。

 「ChannelFireball」とともに取り組んだプロツアー・パリ2011では、見事初戴冠を果たし、彼を殿堂顕彰者にという声が再燃した。その年の殿堂投票ではわずかな票しか得られなかったが、それで終わるベン・スタークではない――続くシーズンで獲得プロ・ポイント61点、グランプリ・トップ8入賞4回、そのうちグランプリ・インディアナポリス2013では優勝と凄まじいまでの戦績を叩き出したのだ

「プロツアー『ギルド門侵犯』でのトップ4入賞が決め手になったのはもちろんですが、ひとつ前のプロツアー『ラヴニカへの回帰』でも賞金圏内に入れました」とスタークは言う。彼は昨年の殿堂投票で票を集められなかったことに納得していた。「あの年はまだ実績が足りていなかったというのは間違いありません。こうして再び大活躍できて、ようやく殿堂にふさわしい人間になれたのかなと思います」

 こうしてスタークは、ジョン・フィンケル/Jon Finkelやボブ・マーハー/Bob Maher、カイ・ブッディ/Kai Buddeのような偉大なプレイヤーと同じ殿堂顕彰者となった。その事実を前にして、彼は希望にあふれた若きPTQプレイヤーだった自分を振り返らずにはいられないという。

「殿堂顕彰者の一覧を見ていると、どの名前も子供の頃憧れたプレイヤーばかりです」と、スタークはしみじみと語る。「マジックとプロツアーの歴史に大きな影響を与えた人たちの中に入れたのは、本当に光栄なことです」

 そして彼には、子供の頃からこうなりたいと思ってきた人物が他にもいる。殿堂入りに際し、彼はその人物に感謝を伝えるのだった。

「もちろん、両親に。これまでの人生を通して、彼らは私のやりたいことを全力でサポートしてくれました。車で10時間もかかるPTQへ私を送り、16歳で世界中を飛び回ることも許してくれました。私が好きなことや私の信じる道をいつも応援してくれます。彼らの愛と支えがなければ、マジックのプロ・プレイヤーには決してなれなかったでしょう」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・神戸2004:第7位(ブロック構築)
プロツアー・サンディエゴ2004:第6位(ブースタードラフト)
プロツアー・パリ2011:優勝(スタンダード/ブースタードラフト)
プロツアー『ギルド門侵犯』:第3位(スタンダード/ブースタードラフト)
グランプリ グランプリ・カンザスシティ2003:第3位(ロチェスタードラフト)
グランプリ・アナハイム2003:第5位(エクステンデッド)
グランプリ・ボストン2009:準優勝(リミテッド)
グランプリ・トロント2010:第4位(リミテッド)
グランプリ・アトランタ2011:準優勝(エクステンデッド)
グランプリ・アトランタ2012:第5位(レガシー)
グランプリ・コスタリカ2012:第3位(リミテッド)
グランプリ・シャーロット2012:第7位(リミテッド)
グランプリ・インディアナポリス2013:優勝(リミテッド)
グランプリ・プロビデンス2013:第4位(チーム・リミテッド)
グランプリ・リミニ2013:第5位(リミテッド)
グランプリ・デトロイト2013:第4位(モダン)
世界選手権 世界選手権2013:第3位(混合フォーマット)

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